バートランド・ラッセルの『幸福論』を読みました。
大学生の頃、ちょうど15年くらい前に読んで感銘を受けた本。 30代も半ばを過ぎ、四捨五入すると40になるタイミングで人生について考えることが多くてもう一度手に取ってみた。
原題である The Conquest of Happiness が示すように、幸福は個人の努力によって獲得可能であると説く。 幸福は社会的な環境と個人的な環境の両方が満たされて実現するものだが、この本では個人の環境に焦点をあてている。 あくまで、基本的な衣食住が満たされつつも幸福になれない人たちについて論じていて、そうでないような場合はこの本では論じていない。
内容は不幸の原因と幸福の要因について章立てで書かれていて、少し冗長な気もするがだいぶ読みやすく書かれている。
- 不幸の原因(第一部)
- 何が人々を不幸にするのか
- バイロン風の不幸
- 競争
- 退屈と興奮
- 疲れ
- ねたみ
- 罪の意識
- 被害妄想
- 世評に対するおびえ
- 幸福をもたらすもの(第二部)
- 幸福はそれでも可能か
- 熱意
- 愛情
- 家族
- 仕事
- 私心のない趣味
- 努力とあきらめ
- 幸福な人
以前読んだときはずいぶんと感銘を受けたけど、改めて読むと感銘を受けるほどでもないかな、という感じだった。 1930年に書かれた本だから、どうしても現代と事情が違う点がちらほらあってあまりしっくりこない。 それでも、女性について述べられた部分はそれなりに先進性があったなと思った。
この本の主要な主張として「関心を内へ向けるのではなく、外界にふりむけて興味を幅広くもつこと。それが幸福への道である。」というのがあるけど、現代社会ではどちらかといえば逆なのではないかと思った。
1930年はコンピュータもなければ、インターネットもない。当然スマホもなければ Google も SNS もないわけで。 その時代、特に田舎に住んでいたら外界の情報にアクセスすることにとても苦労したはずだ。 本書の中でも知的な青年が田舎で暮らすのは知性を使う場面がなくて不幸だ、みたいな記述がある。 そのような状況下で仕事も定型的なものだと自然と内的なものに関心が向きがちになり、外的なものに関心を持つようにというアドバイスは的を射ている。
一方、現代社会は遠くの世界の情報まで簡単に手に入れることができる。 インターネットがあればどこにいても外的な情報にアクセスできる。 自然と外界の情報に目が向きやすくなり、それによって不幸になってしまうことが多々あるのではないか。 だから、最近はもっと自身の内的なものに目を向けるべきだ、という主張がよく目につく気がするな。
そうえいば、同じ時期にラッセルの『論理的原子論の哲学』というのも読んだんだけど、ちっとも理解できなかったなー。 こういう本を読むこと自体に悦を感じていただけだったような気もする。若気の至りだったのかもしれないね。