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『実力も運のうち 能力主義は正義か?』を読んで

マイケル・サンデル教授の『実力も運のうち 能力主義は正義か?』を読みました。 6月に読み終える予定だったけど、プライベートでいろいろあって読み終わったのは 7 月だった。

この本では『ハーバード白熱教室』で有名なサンデル教授が能力主義が是とされる現代社会で起きるさまざまな事象について論じている。

「すべての人が同じ教育機会を得て、才能と努力の許すかぎり出世できる」。一見、平等に見えるこの主張が結果として不平等にたどり着いてしまう。また、能力主義は社会の分断を加速していく。 ここ数年のアメリカやヨーロッパで見られる不平等・社会の分断は、グローバリゼーションや人種間の問題ではなく、この能力主義-メリトクラシーと呼ぶ-に原因があるとサンデル教授は主張する。

能力主義の社会では成功したものにある感覚を抱かせる。それは「自分はそれに値する」という感覚だ。 すなわち、成功は自分の努力の結果であり、自分はそれに値する人間であるという思い込みだ。 さらに能力主義は社会で成功できなかった人間に「自分は成功に値しない人間だ」と思い込ませ、やり場のない屈辱と怒りを生み出す。この怒りがトランプ政権の誕生やブレグジットを導いたとサンデル教授は論じている。

功績(主に学歴)は本人の努力というよりはむしろ親の経済状況とかなりの相関が見られるという(特にアイビーリーグのようなトップレベルの大学の場合)。 そして、そもそも持っている特定の能力が社会から評価され求められること自体、運に左右されているはずだ。 自分は成功に値するとうぬぼれるのではなく、才能が認められる社会があるからこそ自分の成功があると思うことができれば、社会はよくなっていくのではないかとサンデル教授は締めくくる。

われわれはどれほど頑張ったにしても、自分だけの力で身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。 (中略) そのような謙虚さが、われわれを分断する冷酷な成功の倫理から引き返すきっかけとなる。

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ここ最近、社会に対して感じていたもやもやした感情がこの本を読むことで整理された。 なんか、ここ数日世間を騒がせてる事件もまさにメリトクラシー的思考からきてるんじゃないかなーと思ったり。

自分が若い頃はメリトクラシー的な考え方をしていたなーと昔を振り返った。 それに、この本で批判されているテクノクラート的発想に傾いていたような気がする。 その後、人生にいろいろあって今はけっこう考え方変わったなーと感じる。 サンデル教授がけっこう怒りを持って多方面を批判しているが、それに共感できる部分が多々ある。

気になったのがこの本の原題は "The Tyranny of Merit" で『能力の専制』なんだよね。 もちろん「実力も運のうち」的な話もあるんだけど全体としては能力主義(メリトクラシー)について論じているので「実力も運のうち」という題を最初にもってくるのはちょっとなーと思った(もちろん意図的に付けてるのだと思うけど)。

でも、そもそも "Merit" は「能力」というよりも「功績」の方が意味が近いらしくて(解説曰く)、「能力」を「功績」に読みかえてもらったほうがいいのかもしれない。確かに学歴とかの話が多いので「功績」って考えた方がサンデル教授の意図には合いそう。

メリトクラシーについてはさらに知りたくなってきたので今月(8月)の読書もそれ関連の本を読むつもり。

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