The King's Museum

ソフトウェアエンジニアのブログ。

ここ数ヶ月で読んだ本

ブログをぜんぜん書いてなかった。 いくつか本を読んだのでメモ。

三島由紀夫『潮騒』

日本文学ってほとんど読んだことなくてたまには読んでみようかなと思って手に取った。 なぜ三島由紀夫だったかというと、『三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』っていうドキュメンタリーをたまたま見たから。

gaga.ne.jp

三島由紀夫のしゃべりが上手すぎる。カリスマってこういう人のことなんだろうなー。別に思想には共感しないが。 全共闘の人が今は普通に東工大(?)の教授になってるのがちょっとウケた。

小説の内容は恋愛小説で特段強い感想はなかった。全体的にいい意味で予定調和で安心して読めた。 以前、同じような動機で川端康成(ノーベル文学賞!)の『伊豆の踊子』を読んでみたけど、大変読みづらくて挫折してしまった。三島由紀夫は読みやすくて助かった。

近所の潰れてしまった本屋で『金閣寺』も買ってみたけどまだ読んでない。 三島由紀夫は紙の媒体でしか売ってないのがちょっと辛いな。

ニック・マジューリ『JUST KEEP BUYING 自動的に富が増え続ける「お金」と「時間」の法則』

よくあるお金の本。 書かれている内容は『サイコロジーオブマネー』と似たような感じ。

thekingsmuseum.info

自分にとって特別新しいことは書いてなかったが、貯蓄と消費の割合を具体的な数字で提案してくれてるのはよかったかな。 もう数字自体は忘れてしまったがw

デヴィッド・モス『世界のエリートが学ぶマクロ経済学入門』

マクロ経済学の本。 今年読んだ本の中でも一番よかったかもしれない。 マクロ経済学の中心的な概念が分かりやすく説明されている。

いつかマクロ経済学は教科書で勉強しようと思ってて結局やっていなかったが、この本を読んで納得してしまったからもういいかなってなった。 経済ニュースを見るのが好きで金利動向とか失業率とかよく見てたのだが、そこらへんの理解が深まってよかった。

あとは、中央銀行の経済政策も分からないことだらけの中で手探りでやってるだなーというのが分かり、少しだけ親近感が持てた。 少数のパラメータを調整(今だと短期金利)して社会全体の経済を動かしていくのは、巨大なシステムを動かしているのと同じだなと感じた。

ウィル・ラーソン『スタッフエンジニア マネジメントを超えるリーダーシップ』

エンジニアのキャリアの本。 ちょっと前に話題になってたやつが5月くらいに日本語版が出てたので読んだ。

マネジャーではないエンジニアのキャリアパスについて書かれた本。 マネジメント方向のキャリアパスについては下記の本を読んだことがあった。

thekingsmuseum.info

自分はあんまり人の管理とか向いてないなーって思い、じゃあこっちの方向かなと思って読んでみたが、こっちはこっちでハードル高い。自分は本当にこの方向でやりたいのかなって思った。

このレベルになってくると組織に対してインパクトをだしていかなきゃいけなくて、全体を見るって意味ではマネージャーと同じだし、人とお金(?)の管理をするかしないかくらいの違いかなという印象を持った。

Google の morita さんが昔に書いてた感想が自分とだいたい同じ。

Staff Engineer - 2021-05-10 / steps to phantasien

出世はさておき、きちんとデザインして書いたものをバーンとキメないと、なんというか、面白くない。

やはり自分も意思決定をしてインパクトは出していきたい。 今の会社は役職がなくてもある程度意思決定させてくれているが、今後もそうだとは限らない。 出世しないかぎり今後はやりたいことができなくなる可能性は意識しておかねばならない。

アーサー・C・ブルック『人生後半の戦略書』

まだ読んでる途中。 この本が主に対象にするような年齢にはまだ達してないが、いろいろ感じることもあり読んでいる。

若い頃の知能の強み(流動性知能)とは違う、年齢を重ねた時の知能の強み(結晶性知能)があるから、そちらを活かしてくキャリアを選ぶべきというのがメインテーマ。 その二つの概念自体は本当なのかなーって結構疑っているが、変化していかないといけないという根本的なところは納得したかな。

あとはそのキャリアで成功したからこそ成功依存症になってしまって、自分の流動性知能の衰えによる成果の減少を受け入れられなくて辛い思いをするというのはありがちかもしれない。

結局、年齢による能力の衰え以外にも社会的にやらなければならないことが増えて仕事の成果が減ってしまうこともあるから、きちんと変化できると楽に生きれるよと言う話かと思う。

『三体Ⅱ 黒暗森林』を読んで

『三体Ⅱ 黒暗森林』を読みました。

去年、三体Ⅰを読んでおもしろかったので、二作目も買ってはいたけどその分厚さにびびって積んでた。 でも、どうやら Netflix で三体のドラマをやるらしく読んでおきたいなと思ったので読み始めた。

あらすじはいろんなところで読めるからそちらに譲るとして、感想を書きとめておく(ネタバレあります)

--

三体、どうやら二作目が一番評価が高いらしい。 たしかにおもしろくて、それなりに量はあったけどどんどん読み進められた。 前回の三体世界という設定に引き続いて、出てくる設定がとてもよくできていて感心した。 タイトルにもある「黒暗森林」がどういうものか、ずっと気になりながら読み進めていってが、その謎が明かされた時の納得感はとてもよい。 宇宙の文明モデルが息を潜めた狩人たちのいる暗黒の森林だったとは。

最後の三体艦隊との場面は描写がとてもうまくて、読んでいて脳内にイメージが鮮やかに浮かんできて映画のクライマックスを見ているようだった。 ただ、その前の最後の作戦の説明とかはけっこうあっさりしてると思った。 三体世界は、智子とか水滴だったり、人類とは別格の科学力を持っているのに羅輯の戦略に気づけずなのはちょっと納得感がない。 思考を隠すという能力がない三体人の敗北ということかなのかな。 人類の計画を破るために人間の破壁人をたててたから、三体人自体が彼の戦略を見破るのはやっぱり難しかったのか。

そういえば、他の恒星に逃れていった人類たちの伏線は回収されていないような気がする。 四人の面壁者の作戦のうち、精神印章だけはオチがついてない気がしたけど、ここらへんが三体Ⅲにつながるのだろうか。 三体世界とはある意味決着がついたように見えるから、どういう展開になるのかは気になる。三体Ⅲも今年中くらいには読み終えたいな。

--

最初の方にあった羅輯の考えた脳内の恋人とほぼ同じ人を見つけてきて結婚して子供ができてってくだりがだいぶ長くて、著者はあの部分にどういう意図を込めていたかは気になる。 前半はそこがちょっと退屈ではあった。三体の最初の文革のところみたいな感じで世界観を強く印象づける意図があったのだろうか。

前作の方が世界観とかは好きだったかもしれない。 今回は完全に未来世界の SF でとてもエンターテイメントって感じだけど、前作の方が謎が明らかになっていくミステリーの感覚がよかった。 前作の設定とか一部忘れてたから読む前にあらすじ復習しておけばよかった。 三体世界の観測員とか完全に忘れてたけど、読み終える前に Youtube のあらすじ動画見直しておいてよかったw

--

あと、今回は要所で登場人物のフリガナが振ってあったのがめちゃくちゃ助かった。 とりあえずネットフリックスの三体楽しみだなー。わくわく。

www.netflix.com

よくよく考えたら自分は小説は SF しか読んでないな。

『職業としての官僚』を読んで

『職業としての官僚』を読みました。

いわゆる「官僚」である国家公務員について、平成初期から始まった国家公務員改革を軸にして語られた本。 著者はもともと人事院の審議官まで勤めた中の人で、書いてあることがとても細かく正確で丁寧に官僚の実像について書いている。さすが元官僚。 国家公務員改革の前後で官僚の性質がどのように変化したかが分かりやすく書かれており、現在の実像をよく知ることができ国家公務員を目指すなら読むべき本だろう。 また、海外の官僚制(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ)との比較が語られていてるのは貴重だと思う。

自分の周りに国家公務員の人がいないので官僚という仕事に対する解像度はかなり低かったけど、この本を読んで少し解像度が高くなった。 制度とか表面的な面もそうだし、幹部クラスへのインタビューの結果なども掲載されていて裏側の実態もある程度把握できる。 平成初期と現在では、制度も官僚の風土・文化みたいなところも合わせてかなりいろいろと変わったんだなと思った。

官僚というとどうしても世論から厳しい目で見られがちで、実態をきちんと捉えるのは難しい。 でも、この人が述べていた現在の官僚制度・そこに根付く文化に対する危機感みたいなのはそのとおりだなと感じた。 詳しくはこの本の引用に譲るけど、職業としての官僚の魅力はだいぶ落ちてきてるんじゃないかと思った。

こうした状況下で、公務員の働き方については、全体としては民間との均衡が重視されるようになってきたにもかかわらず、政治的課題を下請けするための野放図な残業や、政治家の絡む不祥事における見せしめ的な官僚更迭などが目立つようになっている。「民主的統制」が、「政治的命令は、労働者としての常識的な働き方の確保よりも優先される」と解釈されている。野中尚人は、一連の改革によって生じた官僚の位置づけについて、社会のリーダーからlackey(家臣・下僕)への変化と表現している。

メディアも学界も、改革の過程では、官僚制に対しどれだけ叩いても崩れない強固な壁、常に優秀な人材が集まってきて無定量で働く集団というイメージを持っていたようにみえる。しかし、実際の官僚一人ひとりは傷付きやすい生身の人間であり、特別な強さなど持ち合わせていない。転職困難な中堅以上の世代は、「家臣化」要求を受け入れる以外の選択肢がなかったが、若い世代には政治から責任転嫁されぬよう一線を劃す立ち位置を探す者が増えている。優秀な学生の間で「官僚は損な職業」という見方が広がる中、近年の採用は、損得勘定抜きの公益志向を持つ稀少な人材だのみという脆弱な状態となっている。政治からの要求は、公益に奉仕する誇りや使命感を持つ個々の官僚の必死の働きによって、かろうじて対応されているに過ぎない。

これは自分もよく感じるところだなぁ。これに関しては官僚だけでなく政治家に対してもあてはまると思う。 結局、主権は自分たち国民にあるわけで、官僚も政治家も自分たちの延長上にある一人の人間であるから、公益のためになんでもやって当り前というのは違うんじゃないかなと思う。 こういう、「あっち側・こっち側」、「ウチとソト」の意識はタテ社会の構造によるものなのだろうかと、昔、読んだ本を思い出したりしたな。


官僚制度もここ30年でいろいろと変化があり、なんかクリーンになったなぁと思ったけど、省庁 OB が会社の人事に当然のように介入したりみたいのは現実にあるわけで、この著書に書かれたような綺麗な世界だけじゃないんだよなーとは思った。東大・京大が減ったみたいなこと書かれてたけど、事務次官クラスは今でもほとんど東大卒の男性だしね。

でも、こういう事件が表に出てきちんと問題になって、退任したりするので自浄作用は働くようになったのかもしれないし、今の若手が事務次官になるころには多様性が高まっているのかもしれない。

www.jiji.com

ジムに行き始めた

タイトルの通りで今月からジムに行き始めた。

24時間ジムが自転車で5分ちょっとのところにあるから、子供が寝た後の夜に週二回くらいで行ってる。 運動して気分転換したいなというのと、いまのうちに運動を習慣化しておきたいなというのが目的。筋肉つけて絞りたいとかはあまり考えてない。 そろそろ健康に気を配って生きていかないと。健康寿命を延ばしたい。

最初はジムじゃなくてテニスとかのスポーツスクールに行くのもありかなぁと思ったけど、やっぱり日中に時間を作るのは難しい。 それにジムみたいに黙々と一人でやるのはやっぱり性に合ってる。

過去、高校、大学、社会人、と何回かはジム通いしてたけどだいたい3ヶ月くらいでやめちゃうので今回は6ヶ月続けるのが目標。 自分の場合、6ヶ月続いたらたぶんそのあとも続く気がする。やっぱり3ヶ月目くらいがヤマ。

今回は過去の続かなかった経験を省みてやり方を少し変えてみた。

作戦1:ハードルを下げる

まずはジムに行くまでのハードルを限りなく下げる。

そもそも家から通いやすい24時間のジムを選んだ。 子供がいるとどうしても夜以外はいろんな理由で行きづらいから、夜でも行けるジムを選んだ。 22時頃だとさすがに空いてるしね。

あと、プライベートロッカーを借りて、運動する服、靴、タオルなど一式を3セットくらい常に常備しておく。 ジムはカードキーで入るので、PASMO と一緒に常に携帯しておく。 これで身体一つでジムに行くことができる。

極端な話、会社帰りに気が向いたらそのまま行くこともできる。ほぼ在宅勤務だけど。 もちろん、子供のお迎えがあるから現実には行けないけど、そういう状態を作っておくとハードルが下がる。

結局、ジムで使った衣類とかは持ちかえらないといけないし、補充は補充でやらなきゃいけないから、トータルの手間は同じ、かむしろやや増えるけど、行くときのハードルを限りになく下げるのを大事にした。

作戦2:ジムアプリに課金する

以前は自己流でトレーニングメニューを考えて携帯に自分で記録してってやってたけど、今回はお金をはらって ジムアプリを使った。

GymBuddy というアプリを使ってるんだけどこれが初心者の自分にはとてもよい。

ai-gymbuddy.com

全自動でメニューを組んでくれるのはもちろんいいのだけど、それでいて各種条件をちゃんと指定できるのがいい。

  • トレーニング時間
  • 運動強度
  • ジムあるマシンの有無
  • 鍛えたい部位

などが設定できて、それに合ったメニューを提案してくれる。 次のトレーニングではちゃんと前回鍛えた部位は除外してくれたり便利だなーと感じている。

トレーニングごとに動画があるのもよくて、それのおかげでやったことなかったバーベル系のトレーニングも取り入れることができる。 実際にやった重さとか回数もその場で変えることができるし、丁寧にインターバルの時間まで出してくれるのがよい。

値段は半年で3,500円なのでそれほど大きな出費ではない。

作戦3:がんばりすぎない

以前は「何曜日に周何回行く」みたいなけっこう計画立ててやってたんだけど、今はやりたくなったら行くことにしている。 大抵、トレーニングから 2, 3 日経つと行っとくかーって気分になるからそれに任せている。

トレーニング自体も有酸素いれて一回に1時間くらいで終わるようにしてる。 前はがっつり2時間くらいトレーニングしてて終わったらくたくたでそれはそれで達成感あったんだけど、どうしても一回一回が重くなって、継続しづらい部分があった気がする。 「あとは有酸素でもう終りかー」くらいの気持ちできるとジムに足が向きやすくなる。

体重とか体脂肪率とかそういうのも特に目標立ててないし、夜いくのも睡眠的にはよくないなーと思いつつ、何も気にせず行ける時間に行くのがいいよなと思ってる。

でも、結局これくらいのほうが継続できて、長期的な成果としてはいいんじゃないかと思ってる。


まとめると、多少のお金で解決できるところはお金を使い、力を入れすぎずにまずは継続することを目標に、といったところかな。 考え方がちょっと大人になったのかもしれないな。

『夏への扉』を読みました

『夏への扉』を読みました。

ロバート A. ハインイランの作品。けっこう有名な本だと思う。名前はよく聞くからセールしてたときに買っておいた本。 ちょっと訳に癖があるかな?と思ったけど、基本的には読みやすくてよかった。どうやら、名訳としてけっこう評価が高い翻訳らしい。

重厚感のあるようなものじゃなくて、どちらかといえばロマンスって感じで SF 的には軽めの部類だと思う。 後半に入って物語が進んでいくまでがちょっと長くて退屈だったかな。 最後に何かどんでん返しがあるのかな?とちょっと期待したけど普通にハッピーエンドでそれも物足りなかったかもしれない。

あと、ネタバレになるけど、最終的にけっこう年の離れた女の子と結ばれるっていうのが「うーん、、、」って思ってしまった。 結婚する時点ではコールドスリープで年齢は近づくけどね。

小さい頃に『第四次元の小説』っていう数学をモチーフにした短編集を読んだことがあって、そこにロバート A. ハインイランの短編が載ってたなー。 『夏への扉』を読みながら、そんな昔のことを思い出したりした。

『すばらしい新世界』を読んで

オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』を読みました。

オーウェルの『1984』と並んでディストピアで有名な小説。 いつだったか Kindle で買ってあって積んであったけど、講読してるブログで紹介されていたのがきっかけで読んでみた。

『1984』は学生の頃に読んでとても好きになったのでけっこう期待して読んだけどあまり印象には残らなかったな。 描かれている世界はもちろんディストピアなんだろうけど、基本的にみんな幸せそうだったからかな、ディストピアをあまり感じなかった。 「みんなが幸福に生きているのならそれが人工的なものであってもそれはそれでありなんじゃないかな」と思ってしまった。 ガンマ階級の人々も“条件付け”によって不快な労働にはならないようになってるわけだし。 自由意志が〜みたいなことでいえばディストピアなのだろうけど。

ただ、後半の章で語られる世界感的な哲学の部分はそれなりに面白かった。 幸福が常に満たされるようになった結果、小説や芸術は必要なくなったという点とか、そもそも家族という枠組みを廃止したのも興味深い。 最近、考えるのだけど 100 年前の社会制度を「ありえないw」って思うように、100 年後は現代の当然の制度を「ありえないw」と思うのだろうなーと。 現代の家族制度も確かになくなる可能性はあるだろうなと思ったりした。

あと、自分はシェークスピアがまったく分からなくてそれの引用ばっかりなのはつらかった。 というか題名もシェークスピアから来てたんだね。それも読んで初めて知った。 オーウェルがイートンの学生の頃、著者のハクスリーからフランス語を教わっていたというエピソードを知ってそういうつながりもあるんだなーと思った。

(c) The King's Museum